先日、副業「原則ダメ」→「原則容認」へ?という記事を書いた。政府が旗振り役となり多くの企業で禁止している兼業・副業を認めていこうというものだ。

会社員の兼業を考えるとき、いつも頭に浮かぶのは小椋佳さんだ。
日本勧業銀行の銀行員として勤務しながら、作詞作曲活動に取り組み、30歳のとき『シクラメンのかほり』で日本レコード大賞を受賞。その後も副業活動で数多くの名曲を生み出し、コンサート活動も行っている。
副業で有名になっても本業で手を抜かず、証券部証券企画次長や浜松支店長を歴任し辣腕を振るっている。浜松支店長時には、支店として60年ぶりの業績表彰・事務優良表彰を受賞したスーパー社員である。

もちろん、堅い銀行のことなので副業は禁止されている。兼業がバレた際には炎上し、重役に呼び出され詰問されてもいる。結局は「出過ぎた杭は打たれない」ということだろうか。副業活動は事実上黙認された。小椋佳さんの副業を完全に禁止されていたら、多くの名曲は生まれなかったかもしれない。

ここまで書いて思い出したが、明治の文豪、森鴎外も副業で天下をとった傑物だ。国家公務員である陸軍軍医として最終的には軍医トップの陸軍軍医総監や陸軍省医務局長まで上り詰めた。その傍ら、副業の文筆活動で多くの名作を生み、文豪と称される。もし、明治国家が森鴎外の副業を完全に禁じていたら・・・。

小椋佳さんや森鴎外のような才能を持った人を一つの会社に埋もれさせることは社会にとっても損失だ。政府が副業を認める方向に舵を切ろうとする目的も、企業が抱える有能な人材を広く活用するのが狙いの一つだとされている。
ただ、彼らのように副業で天下を取った著名人に共通するのは、周囲に文句を言わせないくらい本業で実力をつけていたということを忘れてはいけない。本業も中途半端、副業でも中途半端では、「二兎を追う者は一兎をも得ず」の例えどおりの結果になってしまうかもしれない。二足の草鞋を履くにはそれなりの覚悟と実力が必要だと思う。